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北軽井沢
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北軽井沢は、大正時代まで「地蔵川」という地名でした。法政大学の教授や関係者らによる別荘村(大学村)ができた頃、別荘に来る人たちが北軽井沢と通称で呼ぶようになりました。
その後、その呼び方が定着したので昭和61年に長野原町が南部地域を『北軽井沢』に正式変更しました。
大正時代には、草軽電鉄(草津〜軽井沢間)が開通、昭和初期頃から避暑地、別荘地としてにぎわい、岩波書店創業者の岩波茂雄氏や劇作家の岸田国士氏ら、たくさんの文化人が別荘を建てました。
戦後は、多くの海外引揚者や疎開者が苦労を重ね、現在の農地や牧場を入植・開拓しました。この地の美しい光景の陰には、先人の大変な努力があったことも北軽井沢の歴史を語るうえで避けることはできません。
避暑地として恵まれた環境は多くの人々を魅了し、別荘がまたたく間に増えましたが、昭和32年、草軽電鉄は廃止されてしまいます。しかし、自動車や道路整備などモータリゼーションの発達は、周辺の観光地と北軽井沢をつなぎ、新しい時代の避暑地へ進化することとなったのです。そして自然を大切に残す北軽井沢の魅力は、いまでも多くのファンに愛されています。
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●嬬恋村,長野原町全域に光ブロードバンド回線が利用できるようになりました。(もちろん光電話、地デジアンテナ不要の光TVもOKです) |
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